しぶとく、つよく
3児の父である。
仕事は辞めた。
どうやって生きているのか、その話はまたの機会に。
ふと思い立ったので、僕がまだ働いていたころ、何を考えて生きていたのか、書いてみようと思う。
『いかにマウントポジションをとられてからのタコ殴りを回避するか』
これが僕の考える、生きる力だった。
これについては、今でも正しいと思う。
タコ殴りにされたらもうお終い、一度『弱いやつ』というレッテルをはられると、いつまでもいいカモにされてしまう。どんな職場にも『はけ口』という存在があり、一度はけ口とされてしまうと、長らくはけ口にとどまらせようとする、奇妙な力が組織的に働く。個人の努力で這い上がることは、かなり厳しい。
率直に書くと『いじめが始まる』。
『グランドポジションこそ、仕事の醍醐味』
だいたい順風満帆で生きてきた人はともかく、僕みたいに人生常に出遅れな方は、試合が始まった瞬間、スタンドからグランドに移行しているはず。当然、下の立場である。だいたい上からの攻め方なんぞ知りもしないので、たまたま上に立てても、あえて下に寝転ぶような体たらくであります。
ここから抜け出すためにではなく、いかに完全マウントをとられないために、足一本でも相手と自分の間に入れられるか、ここが正念場じゃないかと。ギリギリのところでの攻防。実際、血の気が引いたり、汗びっしょりとなったり、なかなか愉快な経験をたくさんさせていただいた。冴えないサラリーマンの醍醐味といえるかもしれない。
嫌いじゃなかったよ
いま思うと、あくまでいま思えばだが、
意外と嫌いでなかった。
下でもがき続けるという現実は。
それどころか、楽しかった。
だからやりすぎた。
ワークライフバランスなんぞという言葉があるが、知ったことではなかった。
ワークしている自分が格好よくは見えなかったが、
連戦連敗しているように思えていたが、
それでも楽しかった。
楽しく思えていたのが、狂っていたと思う。
いい塩梅に
ということで、何かおかしくなっていたのだけど、当時考えていたのは、そう簡単に上のポジションをとらせないよう、体を鍛えて、テクニックを磨いていれば、自然と楽しく生きていけるはずということ。実際そのように頑張ってみたのだが、それではうまくいかなかった。僕のやるべきことは、人並より少しだけ体を鍛えて、少しだけテクニックを磨くということだったように思える。少しだけ… つまり『いい塩梅に』という加減であったかと。
もっとゆるく、省エネで、気楽に、ゆっくり、サボって生きていくべきだった。
そのためにも、正念場でこそ、タコ殴りにされないよう、真価をはっきすべきであった。
ここまで書いて、結局どうしたらよかったのかわからなくなった。
だれだって、消耗しないで気楽にやっていきたい。
それじゃうまくいかないから、消耗するまで頑張るんだろう。
結果、一つの歯車が狂うと、少しずつ、生活全体が狂い始める。
自分が特別とは思はない。
だれだってどこか狂っている。
どこで修正する?
きっと他の人は、毒を抜く術を知っているのだろう。
うまいことやっているのだろう。
僕はもう一つ、大きな問題を抱えている。
そちらについては、おそらく今後も書くつもりはない。
こいつのせいで、毒を抜く術がなかったのだと思う。
どうすればよかったのだろう?
休んでよかったのかな?
いまでも不安でしょうがない。
しかし、休んでいる間、僕の人生は大きく前に進んだ。
毒もだいぶ抜けた。
というか、もう戻れない。
えへへ。
笑ってんじゃねーよって感じだろうが、
意外と僕は悪くないと思っています。
真面目に生きるだけが能じゃないよ。
きっと行き詰っている人にも、どこかに抜け道があると思います。
というか、そうであるように。
保存袋の奥で芽を出したじゃがいも、
しぶとく育っています。